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ハヤシ百貨店 台南銀座のモダンな五階建てビル
  • 作者:
    陳秀琍、姚嵐齡
  • 出版者:
    台南市政府文化局
  • 出版日期:
    民国109年6月初版
  • ISBN/ISSN:
    978-986-5430-06-1
  • GPN:
    1010900875
  • 語言:
    日文
  • 規格:
    平裝/21*14.6cm/299頁
  • 定價:
    NT$400元

│目次│


010  局長序   お越しください!純朴な日本の黄金時代

012  作者序   都市伝説から目覚めたハヤシ百貨店

 

016  序幕

019  ハヤシ百貨店から見る台湾百貨店の繁栄

 

028  第一章  時代背景

030    台湾百貨店の変化

035      日本統治時代の前(清国)の百貨店

038    明治維新後、日本の百貨店の西洋化と発展

044      日本の百貨店 二つの異なったシステム

045      日本の百貨店 一九三〇年代の拡張

048      特別案内 日本橋高島屋 重要文化財

050      特別案内 日本橋三越 東京都選定歴史建造物

 

052  第二章  台湾百貨店の誕生

054    盛り上がる和洋百貨商店

054      一九二〇年代の台南の和洋百貨商店

057      一九二九年 日本の百貨店を見習った経営方針が出現

059      日本の呉服屋が台南で出張大売出し

062    一九三二年 台湾での日本式百貨店開業元年

062      百貨店の定義と適合する

066      先駆ける菊元と南台湾初の百貨店

067      ハヤシ百貨店と菊元百貨店の比較表

068      特別案内 菊元商行台南支店

 

070  第三章  移民の夢を抱く林方一の起業背景

072    林方一が渡台した時期—日吉屋呉服店での学習

074      夢の始まり|二十九歳故郷を離れ台湾へ

075      日吉屋での六年間

076    林呉服店の営業開始—商業の発達

078      一九二六年~一九二七年の末広町の道路拡幅

080      林方一の建築組合での役割

082      ハヤシ百貨店の設立と林方一の逝去

 

086  第四章  ハヤシ百貨店の登場 モダンの幕開け

088    家族と同郷による管理

088      ハヤシ百貨店支配人 藤田武一

090      ハヤシ百貨店の管理層の多くは山口県から

093    ハヤシ百貨店経営の挿話

094      ハヤシ百貨店の階層と販売商品

098      ハヤシ百貨店の通販と東亜旅行社

101      ハヤシ百貨店の文芸活動

102      食堂の記憶 呉新栄医師の日記から見るハヤシ百貨店

106      特別案内 呉新栄

107    ハヤシ百貨店の危機対処と事件宣伝

109      屋上の神社と火災事件

110      謝罪記事に併せて宣伝

112      初の消防訓練の実施

113      最高層の建築物が飛び降り自殺の場所に

114    ハヤシ百貨店末広社の由来

114      稲荷信仰

116      日本企業神社

117      その他の台南の神社

 

118  第五章  時代の流れを導く

                     商業建築の新たな風貌を作り出す

122    市街地のシンボルとなる建築

124      シンボルとなる象徴的建築 異なった時代には異なった代表が存在する

126      特別案内 大正時代の本町三丁目(竹子街)のシンボルとなる建築 高島愛生堂

128    新たな商業地帯 末広町の登場

131      ハヤシ百貨店を作った建築家―梅澤捨次郎

137      総督府営繕課からの協力

138      建築、内装、水と電気の選択

143      台南銀座建築の模倣風潮

146      特別案内 街の制高点と軍事演習

147      特別案内 末広町・銀座

 

150  第六章  記憶を洗い流した公営機関時代(一九四五年―一九九七年)

152    一九四五年 空襲で焼かれる台南市

156    一九四六年 日産の譲渡と台南塩業会社

157      戦後の一時期は彰化銀行台南支店や宴会場として使われていた

159      ハヤシ百貨店が国営企業および軍部に使用された理由

162    一九四六年~一九六九年 台湾製塩総場時期のハヤシ百貨店

166    一九七六年~一九八六年 保安警察第三総隊事務所

167      四階 台湾省糧食局台南事務所

167      五階 空軍及び寮

170      特別案内 塩警察は保三総隊の前身である

 

172  第七章  色褪せるハヤシ百貨店 再生の道へ

176    修復は文化的意味の再現である―徐裕健建築士

178    修復について

179      構造と補強

184      スクラッチタイル

190      テラゾ

194      花崗岩

196      照明器具

198      空襲の痕跡

200      エレベーター

204      特別案内 日本統治時代の三大百貨店が共に愛用する-日本エレベーター製造株式会社

206      神社

208      展示

 

210  第八章  ゆく年 来る人 ハヤシ百貨店の語り手

212      ハヤシの百貨店社員とその家族

212      戦後 異なった年代の方々

214    一、ハヤシ百貨店で結ばれた李錫銓、李陳錦蓮夫妻

214      話はハヤシ百貨店の二つの棚から始まる

215      李錫銓─ハヤシ百貨店のベテラン社員

215      ハヤシ百貨店支配人の藤田武一が結婚式の証人に

218      戦後の南興委託行に関する経営

222    二、江金梅 ハヤシ百貨店初代営業スタッフ

226    三、許黄進治 ハヤシ百貨店初代営業スタッフ昭和時代の物語が歌劇に

230    四、石允忠 ハヤシ百貨店のイメージキャラクター

236    五、郭黄錦英 ハヤシ百貨店の店員から履物店の女将さんに

240    六、潘元石とハヤシ百貨店の子供服売場の立て看板人形のエピソード

246    七、蔡来順 ハヤシ百貨店の子供服を着た女の子

250    八、鄭惇元 台湾製塩総場時代のハヤシ百貨店で二十年間の勤務

254    九、十全行顔徳宏 末広町のお話を先輩から

258    十、呉南仁 ハヤシ百貨店の曲がり角の靴修理屋

 

262  第九章  盛大な再現 二〇一四年に新たに開業

265    開業

266    旧跡再利用 ハヤシ百貨店の位置付け

268      高青開発 経営権を獲得する

268      昔日の大百貨店 今日の小百貨店

271    ハヤシ百貨店はどのようにして独自の差別化を生み出すことができるのか?

273    文化を基軸に 新たなイノベーション

274    空間デザイン コンセプトは洗練された台南風

276    理念 地元の産業とデザイン

279    ハヤシ百貨店 という名のブランド

281      量より質 多さよりも良さ

283    企画の精神 古き良き台南風 古き良き台南人

286    産学連携 学生と百貨店で生まれる化学反応

289    台南に息づくハヤシ百貨店 百歳に向けて

 

295  参考資料一覧

 

 

│序文│


局長序

お越しください!純朴な日本の黄金時代

 

    台南は台湾の都市の中で最も豊富な文化資産を持つ都市です。多くの古跡の中でも、市定古跡旧ハヤシ百貨店は特別な意義を有しています。台南の消費生活史の証であるだけではなく、台湾で唯一現存する、日本統治時代の百貨店遺跡です。修復完了後、地元のデザインと融合して、新たな百貨店の姿に再生されました。引き続き市民の記憶に残り、台湾の古跡活性化と再利用の鮮明な具体例となっています。

    皆様もご存知のとおり、日本の近代百貨店史において、一九○四年の三越の「デパートメントストア宣言」が日本における百貨店の始まりであるとされています。一九三二年、東京地下鉄道「三越前」駅が開業し、その年の年末に台南末広町のハヤシ百貨店も正式にオープンしました。当時の末広町(現在の中正路)は海運の門戸である「台南運河」、行政中枢の「台南州庁、州会」との連結だけではなく、大正町(現在の中山路)から台南駅へ、さらには台湾南北へと通じる、昭和の台南の非常に重要な商業道路でした。

    当時、台南末広町には多くの三階建ての店舗建築がありました。鶏群の一鶴のごとくハヤシ百貨店だけが五階建てで、エレベーターも備わっていました。当時の台湾全土でも非常に希少であり、台南において最も主要な商業ランドマークとなったのです。ハヤシ百貨店のオープン時は一大旋風が巻き起こり、民衆は競ってエレベーターの行列に並びました。「草笠仔(被り笠)をかぶり、淺拖仔(サンダル)を履いて、五階建てビルにエレベーター乗りに行く」のことわざも生まれたほどです。営業は一九四五年までだったものの、その十年あまりの短い時間で、ハヤシ百貨店がもたらした流行ファッションの鮮やかなイメージと「エレベーター」は地元の建築において新たな試みであり、台南人の記憶の中に深く焼き付いています。

    台南はこの数年とても「親日」だという声があります。台南は両国交流において恩恵を受けていますが、日本各地との関係はさらに密接です。古跡修復の角度から見ると、台湾人は異なる時代の歴史遺産を重視するようになり、明清前の文化資産の指定や修復はすべて完了しています。この数年は多くの日本統治時代の遺産の修復が始まり、意外にも台日交流の新たなきっかけをもたらすことになりました。

    このきっかけのもと、ハヤシ百貨店の再オープンは多層的な意義があります。第一は地元庶民の記憶を呼び戻すことです。これまでは台湾の古跡の多くは荘厳な官署や名人故居が主でした。ハヤシ百貨店は商業建築なので、庶民の記憶により近いものだと言えます。第二は古跡修復の細かい考証です。建物の歴史的容貌の復元にあたって、市政府は掘り下げた考証研究を行い、現代台湾古跡修復の指標を樹立しました。第三は都市と観光発展の結合です。ハヤシ百貨店と中国城はかつて賑わっていた中正路の始まりと終わりの地点に分かれて所在していて、市政府はハヤシ百貨店の再生を旧市街地再生の指標の起点として計画しました。創意産業の活水を取り入れ、古跡に新たな生命を吹き込む。通りのつきあたりに建つ中国城が取り壊された後は、河楽広場としてリノベーションされ、都会の親水空間になりました。

    初代のハヤシ百貨店は、台南とは十数年ほどのご縁ではありましたが、創設者の林方一、建築士の梅澤捨次郎を含めてともに日本人であり、正真正銘の「日系デパート」だと言うことができます。今日の台日友好ムードが高まる中、多くの日本人の皆様にお越しいただき、ハヤシ百貨店は台南を代表する定番の観光スポットになっています。本書の作者、陳秀琍女士のハヤシ百貨店の歴史、修復から再生までのひとつひとつの紹介を通して、日本統治時代の台湾を振り返り、ハヤシ百貨店に埋もれている台日旧事やかつての輝きに触れていただき、台南をもっと好きになっていただければと思います。

 

台南市政府文化局  局長  葉澤山

 

 

作者序

都市伝説から目覚めたハヤシ百貨店

 

    ハヤシ百貨店は私のイメージでは古びたビルでした。騎楼を通るたび、薄暗い階段の登り口はひんやりとした風が吹き、さっさと行かなければと思ったものでした。頭の中では年配者からよく聞いていた、ハヤシ百貨店は日本時代の台南で最も高級な百貨店で、屋上には神秘的な神社もあったという話を思い出していました。ハヤシ百貨店の外観は大きな変化はなく、一九四五年に廃業したものの、戦後の数十年間は台湾塩業公司の事務所になっていました。しかし、台南のお年寄りたちはハヤシ百貨店の最も輝かしい時をずっと覚えています。一九八九年に保三総隊が撤退し、屋上の退役軍人の家族が側方の階段を使っていたほかは、建物内の状況について知る人はほとんどいませんでした。建物の内部は長期間にわたり対外に開放されなかったので、神秘に包まれたハヤシ百貨店と屋上の神社は伝説となったのです。

    私は二○○三年に初めて、仕事のためハヤシ百貨店の内部に入りました。当時のハヤシ百貨店は長い間電気も水も止まっていて、屋上の退役軍人の家族は転居したばかりでした。私は当時の同僚の王文雯と記録写真の撮影のために行ったのです。懐中電灯を手に、側方の階段から暗がりの中を手探りで伝説のハヤシ百貨店に足を踏み入れました。光はほとんど入らず、気をつけながら階段を登りました。建物内の床は所々傾いており、三階には厚い埃をかぶった台塩の書籍が残されていました。屋上まで登った時、そこは違法建築でめちゃくちゃでした。また、八角型のエレベーターはひどく損傷していて、エレベーターの天井から下を覗くと底が見えないほど深くて真っ暗でした。屋上で壊れた末広社神社を目にした時、ある種の言い表すことのできない感傷的な気持ちになりました。心の中では、ここはかつて日本統治時代には台南で最高級の百貨店だったのだと。昔の繁栄が幻のように感じました。

    ハヤシ百貨店は、一九四五年に歴史の影に消え去った高級百貨店建築です。六十年以上にわたり異なる機関に使用され、二十年の空き家の歳月が流れました。輝きは色褪せましたが、建物は建て直しではなく保存されました。これは喜ぶべきことであると思います。二○○三年に記録写真の撮影のために一度訪れたことがあったので、その後もハヤシ百貨店の情報には気をつけていました。修復工事の進行に合わせて私も次々に記録を行いました。二○一三年にハヤシ百貨店の修復工事が完了し、OTの準備に入りました。私は同年三月に《臺南文獻》第三集において〈從高島愛生堂到林百貨-談日治時期臺南市的商業地標〉を発表し、その年の年末に台南市文化資産管理処より出稿依頼を受けました。まさか二○○三年にハヤシ百貨店に足を踏み入れてから十年後に《ハヤシ百貨店》の書籍を出版することになるとは。

    《ハヤシ百貨店》の時代背景を切り口にして、ハヤシ百貨店における時間の移行と異なる時代の人物や出来事をひも付けし、多くの方々へのインタビューと歴史文献を対照しました。これは、ほかの古跡紹介の書籍とは大きく異なる部分であると思います。日本統治時代の資料を読み解くほか、難易度が高かったのは戦後の使用機関や軍の資料は取得が困難だったことです。台塩公司は忠義大樓(ハヤシ百貨店)に関する記録は決して多くはありませんでした。最後にハヤシ百貨店を離れた保三総隊については長い時間が経過し、人員はすでに定年退職していました。ほぼすべての手がかりが途切れ、台湾塩業の文書、台湾行政長官の文書資料、省議会文書および国家檔案局の限られた資料の中から資料を寄せ集めました。もう一つ困難をきたしたのは、歴史の口述の部分で、非常に長い時間を費やしました。関係筋を通して、多層の関係者の中から本書の人物インタビューの十名の方々を探し出しました。五十名を超える方々より、多くのキーパーソンとなる方々の情報や関係資料のご提供をいただき参考にさせていただきました。これほど多くの皆様のご協力とご支援に心から感謝申し上げます。作者の立場からは、本書の文献の考究とインタビューに心と力を費やしました。ひとつの大時代からハヤシ百貨店を語り、お読みいただく皆様に、本の中から時代、建築、人、都市の移行から古跡、商業、再利用などを色々な角度から見ていただければと思います。そして、異なる面からハヤシ百貨店の建物と台南人が特別な気持ちを持っている古跡を解釈していただければと思います。

    最後に、日本語版が無事出版できますことを、ご協力いただきました文化局関係機関と請負人の皆様に厚く御礼申し上げます。日本語版の出版は私のかねてからの願いでした。二○一四年に《林百貨-臺南銀座摩登五棧樓》中国語版を出版し、二○一七年六月に文化部台北駐日経済文化代表処台湾文化センターにご招待いただき、本書をテーマに講演しました。非常に好意的な反応をいただき、多くの日本人の方たちが中国語版の《ハヤシ百貨店》を手に、私のサインが欲しいと言ってくださいました。この時の講演があったからこそ、日本語版を出版したいと思うきっかけになったのです。文化局の葉澤山局長のお力添えを賜り、心より感謝申し上げます。台南文化局と台南市文化資産管理処の皆様のご協力とご支援によって本書を出版することができました。そして、さらに多くの日本人の皆様にハヤシ百貨店にまつわるエピソードに触れていただくことができます。ありがとうございました。

 

陳秀琍

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